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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

変貌、変化

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キンドルファイアで撮影

 

上海の変化の大きさに私はもう言葉を失ってしまった。写真は高架道路。20数年前によく利用していたバス停をもう一度…と思って言ってみたら、完全に違う街に変貌してしまっており、途中道が分からなくなってしまった。仕方ないので何とか道行く人に行先を案内してもらおうときょろきょろしていたら向こうからイスラムの人が自転車に乗ってくるのが目に入った。「あ、留学生だな。」そう思い、声をかけた。

 

彼女は最初言葉だけであれこれ説明してくれたのだけれども、あまりに煩雑だったせいもあって私の表情が自然に曇っていくのを見てとったのだろう、「途中まで一緒に行きますよ。」と提案してくれた。「え、どこかに行く用事があったんじゃないんですか?」と尋ねると、「すぐ近くで買い物して帰るだけですから。」とごく自然に私の散歩?のお相手を申し出てくれたのには感動した。

 

月並みではあるが、イスラム教について彼女にいろいろと尋ねた。どれも知ってはいる事が返ってきたのだが、最後にぽつりと彼女が言った言葉が感動的だった。それは:信仰は地球のどこにいても変わらない。これだけ強いバックボーンをもって生きられるというのはそれだけで幸せなのだろう。

 

何も宗教に入信することが全てにおいて正しいという訳ではない。日本で最大の宗教団体に入っている人の間でも争いは絶えない。所詮は宗教という形をとった思想・哲学集団のためなんだろう。

 

イスラム教は日本人である私たちにとってとても遠い存在であるように思える。どっぷりとアメリカのキリスト教に浸かっているので、イスラムがとても奇異なものに映ってしまうから。でも、話してみると考えの根幹というものにきちんと筋が通っており、それを生活の中で「毎日」実践している。それと比較するとアメリカのキリスト教って一般的に言うとめちゃくちゃ。ひどいよね。

 

話を上海に戻すと、とにかく前へ、前へという思想が街のあちらこちらに体現されていて、この国の力が国民一人一人の了解の元に支えられているのがよくわかる。自由や平等を一生懸命叫ぶ日本にあっては、逆説的に自由も平等もない。過労死しかり、各種ハラスメントしかり。中国は外から見ると、とても圧政的で、息苦しい国だと思いこまされているが、懸命に生きようとするエネルギーは私たち日本人がどこかで失ってしまったもののように思ったりする。そんな体験だった。

 

 

実験

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実験でアップ。キンドルファイアで撮ったものです。写真は上海滞在2日目、蘭州料理の店で注文した麺でございます。むちゃくちゃおいしかった。ローソンのスパゲッティとか食べる事がたまにあるんですけど、あれ、ダメですね。

仏語通訳案内士試験受験記録DAY22

普通の生活に戻りました。ほんの一昨日に上海にいたことがちょっと不思議な気がします。たかだか2,3日程度の滞在ではあっても脳みその活性化というか言語への適応力というものが飛躍的に向上していくのが感じられました。もし、あと1週間なり10なり滞在していたならばかなり違う効果が感じられたかもしれません。外的な刺激を定期的に受けるというのは進歩のためには絶対に必要なんですね。

 

※全く関係ない話、上海に行くのであれば少しは上海語を話せると良い。かなり人との距離が縮まるし、面白がってくれる。次行く時には上海語で買い物が出来るくらいの力はつけていきたい。

 

仏語学習はあちらで買ってきた基礎会話本をとにかくまずは一回転させようとやっているところです。自分の弱点は会話にあります。語彙力とか発音がどうとか文法がめちゃくちゃとかいう事が問題ではありません。仏語というまだ体に染みていない言葉をうまく操ろうとして逆にしどろもどろになってしまう…、そんなアホみたいな弱点があるようです。だからまずは基礎的な会話から始め、そして文法を積み上げ語彙を読書でカバーする。そんな手順を確実に踏んで本番(勿論口述試験が私にとっては本番であって筆記試験はただの予備選にしかすぎません。)に臨み、ある意味「行けたのかな…」という感覚をもって帰郷する。それが今年どうしても果たしたいこと。

 

これまでの事を振り返るとあまりに薄っぺらい準備で臨み、薄っぺらい力で戦ってしまったので惨敗に至った結果は当然のことではありますね。

 

来年も別の目標に向かって旅が出来るようにただただやり込む。今はそんなことが頭の中に占めているところです。

残り4週間

仏検2級筆記試験まで残り4週間を切った。上海行きの計画も昨年から立てていたが予想外にあっと言う間にその日がやってきて、あっと言う間に過ぎ去っていった。そして今度は国内での試験に向けての学習が続く。

 

今回の上海行き(旅行ではない)では書籍の購入を一番の目的としていたので色々と書店を見て回ってきた。驚いたことに、書店によっては半額で販売していたり、計り売りしていたりと値段がまちまち。下手すると日本で販売されている価格の10分の1くらいで手にはいるものもあったりもしたのは驚いた。

 

結局8冊の本と1冊の辞書、そして3冊の仏語テキストを今回は入手して終わり。たったこれだけだったのは、意外に欲しい!読みたい!と思えるような本が無かったため。

 

仏語のテキストを選んでいる際、中国人の学生さんが丁度同じ棚を見ていたので色々と尋ねてみたら師範大学の学生さんだった。私が小脇に抱えているテキストを見てると「そうそう、これを学校では使ってるの」との反応が返ってきて、私は「内容はどう?」と尋ねると「まぁまぁかな。今はこれを使っているの」と他のテキストを示してくれた。

 

その他にいろんな事情を聴いたが、総じて中国の学生さん特に外国語を学んでいる学生さんのレベルは高い。本当にそう思う。そして市販されているテキストの内容も充実しているのは日本も見習わないといけないと本気で思っている。購入したテキストの1つが↓↓↓

 

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大きさはペーパーバック大で中身はぎっしり。値段は日本円で300円ほど。そんなにやすもんなら大したことは無いと思うのが普通だろうけれども、とんでもなく中身が濃い。

 

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150頁弱の会話テキストの「すべて」が録音されているミニCDが付属されていて会話のみならず単語の「すべて」を読み上げてくれる。だから今まで少しあいまいにしていたところもこの際にきちんと矯正する機会が得られた

 

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これをすべて入れ込むのに1カ月程度はかかる。

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こんな風に車の各部位の名称までわかるようなことまで配慮されていたりするので本当に驚く以外にない。日本のテキストは人件費がかかりすぎるのか、とにかく内容の割にしては高すぎる。日本人の英語下手がよく言われたりもするが、それは本がとにかく高く、内容が薄く、更にはつまらないため。日本は経済力で中国に追い越されてしまったがその原因の一つに教育商材の高さにその一因があるのではないかと考えているくらいだ。いいところはもっと隣国に学ぶべきだろう。

 

上海で体感したことは本当に大きかった。言葉では言い表せないくらい変貌していたし、その変貌が当たり前になっていて、どの人も活力にあふれていた。とかく拝金主義で冷たい…とみられがちな中国人だが、地下鉄やバスでは高齢者に積極的に席を譲る場面も見られた。私も乗り込んできたおばあさんに「どうぞ」と席を譲ったりもした。マナーも言われているほど悪くはない。ただ、これは上海という都会だけに見られる現象でおそらく少し離れたところになるとまだまだだなというところが多いのだろうと推測している。

 

上海には年に1度は行きたい。そう出来るように仕事しようと改めて今回の上海行きで思いを強くした。自分をどこか構造変革するよいきっかけになったと思う。

仏語通訳案内士受験記録DAY21

昨晩上海から帰国しました。えらく疲れましたが、とても有意義な時間を過ごせたと思います。ぼちぼち上海ネタをアップします。

仏語通訳案内士受験記録DAY20

よく「死ぬほど」というフレーズを耳にします。要するに一所懸命という表現以上に激しさを加えたい場合に用いるものですね。

 

でも、死ぬほど、とか言って本当に死ぬ人は居ません。どこかでセーブしているはずです。なぜなら死ぬほどやって何かの結果を生きて享受したいという思いがこのフレーズにある為です。そう、結局よりよく生きたいために人はこうした言葉を用いて自分の枠や限界を押し広げようとしているでしょう。

 

個人的には死ぬほど学習をやることはありません。いつも自分のペースでやっているので極端に1日だけたくさんやるとか或は逆にやらないとかいったことは無いためです。そして死ぬまで続けたいことを今も明日もやるわけですから、死ぬほどのことをやる必要もありませんし、そこまで無理する必要性も無いと考えていることも大きいのだと思います。

 

よく死ぬ気でやる!と軽々に言う人が居ます。でも、受験やら就活とかいったものであれば分からなくもないのですが、一定の生活が満たされていて、更にその上に死ぬ気でやらねばならない事って一体何なのでしょうか?死ぬ気でやれば何でも出来るなんて言う人も居たりしますが、その人の身の丈や才能、そして人生のビジョンに合わないものを死ぬ気でやったところで一体何が得られるのでしょうか。

 

死ぬ気でやる必要なことって実際は何もなくて、所詮は自己満足と承認欲求が強いだけなのかもしれません。そんな風にしてみれば、よりよく生ききるために自分が没頭できるだけのことを普段から毎日コツコツと毎ぺースでやれることがある人は幸福の極みにあるのではないかと思ったりしているところです。

仏語通訳案内士受験記録DAY19

基本的に試験を受け、それに合格するにはよほどの実力があれば別ですが、しかるべき対策なり準備をする必要があります。これが常道です。何かの資格試験に合格しようとして何も勉強せずに合格する人はその試験の形式もあるでしょうが、ほぼ0でしょう。

 

これが語学(おそらく数学も同様だと思う)になるとチト話が違ってくるようで、ただ物量をこなせばいいというものではありませんし、語彙がいくらあっても必ずしも合格するものでもありません。

 

そもそも語学力というものを考えた時、私は最近又吉君(漫才師のカレの事)のことを常々思い浮かべます。彼は正直いってペラペラとしゃべる方ではありませんよね。饒舌ではないけれど、文字というものを使って物語を完成させる能力は目をみはるものがあります。これは誰しも同意するところでしょう。

 

言葉を操る力、と聞くとなぜがすぐに口頭での表現力を思い浮かべてしまいちですが、これはいつの間にか私たちに刷り込まれてしまっているステレオタイプな思考なんだと思います。このことが正しいとか間違っているとかを問題にしているのではなく、つい一定の方向へ思考が向かってしまうことを少し改めるべきではないのか?ということを言いたいのです。

 

語学力も同様でなぜかいわゆる口頭でペラペラしゃべる人=語学の才能のある人と一元的に決めつけてしまっている感が否めません。でも、話すことが出来ても書けない人もいるだろうし、話していることがとても幼稚だったりすることもあるのに、ただペラペラと話されているのを聞いて「すごい」と感心してしまう私たちにも問題があります。

 

 

冒頭の試験の話に戻ると、試験というのはとても狭い入口に自分の身の丈を合わせて何とかして入ろうとするようなイメージです。自分の都合は一顧だにされません。その試験に受かることで世界が開ける人も当然いるでしょうし、ただただ試験に受かりたいと思って挑むことだけが目的になってる人もいることでしょう。確かに難しい試験に受かれば自信も勇気も名声やらも手にすることが出来るかもしれません。語学試験も1級試験に受かれば相当持ち上げれたりしますし、実際にすごい人もいます。

 

ただ思うのは試験にだけ価値を求めるのはどこか歪んでいて、むしろ試験などなくとも打ち込めるものがあるということの方がよほど健全な人生を歩めるような気がしているところです。

 

私も試験は受けます。でも、試験に自分を合わせることはしません。自分が一生やっても飽きないものを追いかけているとその内試験の内容も自分の世界に包括されすーっと合格できるようなものだと思っています。

 

考え方は人それぞれ。でも、くれぐれも試験に憑りつかれた人生だけは送らないように気を付けたいものです。

仏語通訳案内士受験記録DAY18

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今年度の通訳案内士試験の申込み冊子が届きました。正直言って今回でフランス語の申込みを最後にしたいです。ええ加減飽きましたので…。申し込むのは来月になりますけど、準備だけは万全にしておきます。

仏語通訳案内士受験記録DAY17

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●「食堂かたつむり」仏語ver.

 

全体的な印象をざっくり言うと、とてもあざとい物語だったというとことろに落ち着くのかもしれません。あまりに出来すぎです。料理や食材に関する描写が主役になることが多く、人間を描き切れてない、というか若干消化不良を起こしているなというところでしょうか。また仏語に訳されているんですが、日本独特のものについてそのまま言葉をあてがっており脚注が全くありません。これ、フランスの読者が読んですーっと頭に入ってくるんだろうか?と疑問が残ったのも事実です。

 

小川糸さんの物語に接するのは現在ドラマで放送している『ツバキ文具店』が初めて。ところが、この『食堂カタツムリ』を読んでいるとなんかデジャビュを感じてしまいました。『ツバキ文具店』は手紙と文字を書く道具が主役ですが、これによっていろんな人がまさに奇跡的に様々なトラブルや悩みから解放されていくという筋です。一方の『食堂カタツムリ』の場合は料理、食材がその役を担っています。構図は全く同じ。出てくる人たちもなぜかliberationを得るという結末です。最終的には主人公自身が救われるって形に落ち着くのですが、たぶん『ツバキ文具店』も同じかな?と推測しております。

 

もし日本語オリジナルで読んでいたら途中で投げ出していたでしょう。フランス語で読んでいたので「まぁ勉強だから…」と最後まで読み切れました。そんな物語です。おすすめはあまり出来ないかなぁ。

仏語通訳案内士受験記録DAY16

中国語検定準1級口述試験の結果が来ておりましたぞヨ。これまたぎりぎりで合格していたような状況でありましたネ↓↓↓

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やれやれ。平均点をおーーーーきく下回っております。落ちることはまずないとは思ってましたが、ここまで辛く採点されているとは思ってもみませんでした。2番目の訳す力のところは少しひねってしまったので、減点幅が大きいみたい。これは自覚があるのでまぁ仕方がない。その他の1,3,4の項目は正直言って、話が合わない人と話しをしたくないのであんまりおもしろい会話が出来なかったためだろうと思う。ま、そんなトコですね。

 

結論として思うことを書こう:

 

本格的に中国語を再開しようと思い立ったのが昨年の12月。そこからまずは足がかりに…ということで準1級に照準を絞ってやってきた。その間には本もようやく読める域にまで達してきて今がある。もしも、12月の時点で半年ほどやってから…という風に先延ばしにしていたら試験さえも受けなかっただろうし、中国語そのものに本気で取り組もうなどという発想もどこかへすっとんでいたかもしれない。試験的にはズダボロだった。正直言って恥ずかしい成績ではある。こんなんで中国語を使って何かしようと思うなんてアホの極みに違いない。でも、必死に取り組んだからこそ「これからこうしたい」というビジョンも生まれ、それに向かえるようにもなった。そして何よりも中国語に取り組んだことで、仏語から逃げない!という気持ちも生まれた。やり遂げようとしていることは大きな困難が伴う。ダメかも知れないという変な考えもよぎったりもする。それでも毎日が面白いと思える今があるのはこの10年来なかったこと。毎日が発見と変化の連続で興奮状態なのだ。こんなすごい体験を出来るというのは誰にでもあるわけではない。おそらく挑戦する人だけの特権だろう。

 

上海への渡航日も近づいてきた。これが第一歩。人生の折り返しをとっくに過ぎた時点で踏み出した第一歩なのだ。今までのような甘っちょろい自分の語学力と決別してまた違う自分を創造するための空間移動だと捉えている。また帰国後に向こうで考えたことを書こうと思う。

仏語通訳案内士受験記録DAY15

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読書を進行させています。

①『When books went to war』中国語ver.

第二次世界大戦時、1億冊を越える本がアメリカから戦地へと送られました。この事実はあまり報道されたりすることは無いのですが、とても貴重なドキュメントです。ご存知の通り、ナチスドイツが行った焚書により多くの本が没収および焼却されてしまいます。こうした背景から生まれたのが以前紹介した『本泥棒(The book thief)』。こうした事実を知ると本は単に文字の集まりではなくて人を突き動かすとても大きな原動力をも秘めていることを改めて知ることになるのです。それをナチスは恐れてもいたのですね。逆に言えば本がもたらしてくれる力というのは戦場にいる兵士たちの気持ちも鼓舞してくれる力をもっており、また戦地あるいはキャンプから伝わってくる兵士たちはとても本を渇望し、それを食い入るように読んでいたということです。本が生きる勇気や希望を与えてくれる。そうした真実を知ると、本というのはただの紙切れではないことを再認識させられるのですが、昨今はどうも平和が過ぎているようで本への渇望感などというものを微塵も感じない人が増えていると感じるのは私だけでしょうか。

 

②『A Good Fall』英語オリジナル

以前に読んだ中国人作家‟哈金”の英語オリジナル短編集です。彼は2世とかいったアメリカ育ちの人ではありません。中国国内の大学で英語を専攻し、その後アメリカにわたり大学で教鞭をとっている才能のある方です。英語ペラペラを鼻にかける人は多くいますが、創作活動を続け、アメリカでも文学賞をとれる人って一体どのくらいいるのでしょうか?そう思うとそのすごさが理解できるのではないかと思います。私はこの作品をむちゃくちゃのめり込んで読み切ってしまいました。それくらい面白い。よくこんなエピソードが次から次へと…という感じであっという間に最終エピソードになっていました。たくさん書いておられるので、英語の本を読む際にはまずは彼の作品群をすべて読んでしまいたいと思っているところです。これだ!という作家に出合えるのは最高の幸せではないでしょうか。

仏語通訳案内士受験記録DAY14

スマホをずっと検討していてあちこち調べ回りました。結論としてはスマホはもうしばらく見合わせるということ(高すぎる!!)と、アマゾンファイアを使いだしたので、それで十分ではないのか?というのが使いだしてからの偽らざる実感です。

 

考えてみればネットを使う目的は言葉や図案(ファッションとか建築といった小説に登場してくる言葉だけでは理解しがたいもの)の検索であったり調理法の学習であったり音楽やニュースを流したりと割と限定されていてよく宣伝されているゲーム類は一切しません。見ていると周りの人はすべてゲームばかりやっていて何しているんだろう?と今でも疑問に思ってしまうくらいですから。

 

さて今週からまた仏語読書です。もう1か月ほどで2級試験ですから中国語や英語は控え目にしてまずは簡単な内容の小説を何冊か読み込み試験に向かうだけでしょう。受かる・受からない(受からないならもう仏語の試験は受ける意味無し…というくらいの感じで受け止めている)は関係ありません。結果を大事にするのは大人の世界の話ですが、それは語学の世界ではあまり気にすることではないと思います。あくまでもプロセスです。その道すがらで何か自分を変えてくれるものを感じ取れたかどうかがものすごく意味を持ち、試験なんていうのは自己承認欲求を満たしたい人が拘ればいいだけの代物にしか過ぎないですから。

 

さてまた明日から新しい1週間ですね。よい日曜を!!

仏語通訳案内士受験記録DAY13

誤植を英語ではtypoという。ところで仏語ではどうなの?ということで調べてみたら何とまぁcoquilleとあるではあーりませんか。面白いもんですよこの違いは。

 

でも、英単語でイミフな単語があると辞書を引くわけですけどおおそよ英語と仏語は同じスペルであったりすることが多い。最近出くわしたのがobsoleteで、これを英仏辞書で調べると一番目のeにアクサンがあるだけで全く同じ。これじゃわからんので英和を調べることになる。なんてこたあない単語であるけれども英語と仏語が同じとあってはこちらもどうにもお手上げだ。だからこんな時には仏中辞典とか全く違う系統の言語間の移動を示してくれるものが大いに役に立つ。だが、今手元には仏中辞典がないので中国で仕入れないといけないって訳です。

 

日本語にして解決してしまうとどこかしら言葉の定義を固定化してしまうことにもなりかねず、幅が生まれにくい。だから外国語の単語を調べる際にまた別の外国語で調べるという回りくどい作業をすることで面白い発見や言葉の定義の核と意味の幅が生まれてくる可能性が大となってくる。これは今後頻繁に実践しなければならないことで、多言語学習の維持にはかかせません。

 

尚今読んでいるのは英語の本。次は仏語になります。

仏語通訳案内士受験記録DAY12

先日受検した中国語検定準1級の口述試験の結果が判明した。当然ではあるが合格だったね…。こんなにも心を動かされない合格はなんだろうかと思ったりもする。

 

内容的なことをいうと次のような式が成立する気がする。あくまでも主観ではあるが口述試験についてはこうなるだろう:

 

  • 仏検定準1級>英検準1級>>>>>中検準1級≒仏検準2級

 

つまりは中検準1級の口述試験などつまらん試験ということ。他のサイトでは準1級が実質上の1級試験に当たる、などと書いてあるものがあったが、よくもまぁそんなことが言えるなぁと呆れてしまうよ。1級がどの程度の試験になるのかが不明であるので実際に筆記試験に合格しないといつまでも謎のままになってしまうので一年でも早く筆記試験を突破するに限る。御託は不要です。

 

次は仏検2級。6月の筆記試験ではぶっちぎって合格してまだ受けていない口述試験を経験したいものだ。腕が鳴る。