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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

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昨今は新しい職業として『youtuber』なんていうものがあって小学生もなりたい職業の一つとしてあげるほどになってるとか。時代が変われば、本当に何もかも変わってしまうんですね。

 

さて、その動画サイトyoutubeを利用して結構目立った活躍している人も確かにいますね。私は見ないんですが、一人だけバイリンガールという名で動画配信をされているものを1度拝見したことはあります。中身はなんてことはない他愛も無いものなのですが、学校ではハンズオンで知り得ないこととか実際の会話のリアルを知ることが出来るとかで若い人中心に人気を集めているようです。

 

英語が出来れば活動の場、活躍の場面も広がるのは一定程度(少しは)確かだとは思います。しかしだからと言って、自らの専門さえも深めずただただ英語は大事だよ~という世間の言説に唯々諾々としたがって「英語だけ」を磨いてもどうなるわけでもないように思うのは私だけでしょうか?

 

更に言うとするならば、発音や今的な表現に拘り、学校英語は間違っていると殊更に過敏になるのはもっと問題アリな気がします。

 

ところでどうしてこのバイリンガールのサイトが人気があるのでしょうか。その答えは至極簡単で1つには英語(および米国文化)の勉強になるということは勿論ですが、もう一つ押し込んで言うと「発音に説得性」があるからです。

 

要するに発音とは商品のタグのような存在で、発音が良く、見た目もいけていると視聴する人たちはそれにあこがれ群がるんですね。いわばグッチやらシャネルやらといったブランドみたいな感じだと想像してもらえるといいのではないでしょうか。

 

日本ではブランド品はお金を出せばだれでも手にいられますが、本場では社会的な地位を伴っていないととてもちぐはぐな印象を与えてしまうようです。こうしたギャップが英語という一種のブランドでも通底しているようで、お金を出せば渡米して英語を学ぶ(所謂非正規留学)ことも可能ですし「それらしい」発音を身に着けることも可能でしょう。

 

私たちは見た目(要するに世間体)を気にする民族ですから「それらしい」ものの真価さえよくわからないまま、「それらしい」発音だけを耳にしてそれが素晴らしいものだと即座に判断を下しがちなようです。特に若い人にとっては見た目という印象は強烈に大事で英語についても発音がいけていないとその人の話している内容については耳も貸してくれない。更には「英語が下手」なんてレッテルってしまうことでしょう。

 

年末年始にNHKBSで放送されていた経済番組を視聴する機会がありました。その中で番組の進行役を担っていた経済学の教授が何人かの著名な学者達に英語で質問を投げかけていたのですが、「発音だけ」をとればバイリンガールのような米国流バリバリのものではなく極ふつうの日本人の話す英語でしかありませんでしたが、私はその質問の中身つまり「質問力」を構成する知識や知性に非常に注目しながらやり取りをみさせてもらってました。

 

そう思い返せば、発音云々なんて全く気にしておらず、対話で何がやりとりされているのか、そしてそれについて自分がどう思うのかということだけに関心があったように思います。相手の学者たちも決して英語ネイティブではありませんから、母語の影響を受けた英語を話しているわけです。それでも対話に面白味や興味をそそられたのは対話する両者の知性そのものであり更に問題に対しての思考と研究を絶えず行っていることから発する言葉の重みがそこにあったためです。

 

youtubeは本当に便利なサイトで私も料理のレシピやらトレーニングのメニューやらといったものを参考にさせてもらうことが多いです。それはあくまでも「参考」であってそれが絶対ではありません。英語を始めとする外国語も発音は大事です。中国語やベトナム語は声調が間違っていると相手に通じないどころがストレスになりますし、韓国語は音の強さが違うと勘違いされてしまったりします。それぞれに気を付けるポイントは違い、また個人的な資質によっては発音はスルーなんて人も居ても不思議ではありません。

 

以前の記事にも書きましたが、英会話は発音品評会ではありません。そんなに発音だけが気になるのでしたらアナウンサー養成教室とか声優学校とか通って一から発音の鍛錬をすればよろしいのです。でも、そんなことバカバカしくてやってられません。

 

私たち日本人が英語を始めとして他の外国語の発音に苦労するのは私たちの口角の筋肉が日本語に「最適化」されているためであって、それは能力の問題ではなく習慣の問題です。ストレッチを行うと筋肉がほぐれ可動域も広がるように発音も日々の訓練で日本語では決して使うことのない筋肉を少しずつ使うように練習すればよいのです。たったそれだけの話。何もコンプレックスも憧れも抱く必要性どこにもありませんよ。

 

普段タグだけを見て商品の価値を判断してしまっている私たちですが、高級なものが自分に合うわけではありません。どんなものが自分に合うか。それはいくつものものを試してようやくたどりつけるはずで、結果として何かのブランド品ではなくとも全く無名で安価なものが一番着心地が良いなんてことは往々にありえるものだと思います。結局自分を知らないからブランドのタグだけに囚われてしまうのです。自分を知るというのはものごとを始める一番の基本だと思うのですが、どうでしょうか。

 

蛇足:

最近読んだ本の中で「霏霏として」という言葉に当たりました。前後から意味はとれるのですが、全くの初見の語彙でした。外国語の能力云々も大事ですけど自分たちが常日頃の思考を形成しているのば母語である日本語。日本語の語彙が貧弱だと当然ながら外国語も貧弱にならざるを得ません。そんなことをふと思いました。