真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

忙しい方が効率いい

語学から離れて過ごした1週間でした。注文していた本は業者の方から明日届くとの連絡が入ってやっと中国語も再開できそうです。来週末あたりかたいよいよ仏語もリスタートさせて8月の通訳案内士試験の前に暖気運転として6月実施の仏検2級を再受験します。合格は当然の試験ですからどれだけ内容が納得できるものになるかだけに拘って受けます。

 

昨年1年は口述試験のみの対策だけになってしまっていたので正直言って毎日がとても「退屈」でした。全然メリハリがない。大学受験なんかでもそうだけども皆が途中に模試ってやつを受けたりしますよね。こうして勉強のし上がり具合をチェック出来たりするし、ダレを防げたりします。こういうのって大人になって試験を受ける場合でも全く同じなんだなってつくづく思います。

 

短期間に集中してサクッと受けてサクッと帰る。そしてサッサと次の向かう。そんな切り替えがあった方が意外にやりやすい。1科目だけの受験よりも多科目での受験の方が割に自分の時間管理や学習管理がしやすいんじゃないのかなぁと思う。毎日同じものを食べてたらそりゃ誰だって飽きるからね。

 

言語学習をやってるとどこがゴールになるのかってわかりにくいところがある。でも語学学習そのものに終わりがないんだからゴールそのものが無いわけで、試験に合格することが目標っていうのも実はそもそも論としておかしな話だと思ったりしてる。試験っていうのは他人が設定した柵のようなもんだからその柵をさっと乗り越えられてたらもう目標地点は他人設定じゃなくて自分で設定してやっていかないといけなくなってくる。

 

途中で語学学習を止めてしまったりする人っていうのは往々にして他人の策定した目標地点だけに向かうことで頭がいっぱいで、その先の景色そのものが全く想像出来ていない場合が多かったりする気がする。大体にして語学学習することってただただ試験を受けることだけが目的になってはいけないと思うし、それがになったらそりゃもう人生他人の設定に振り回されるつまんないものになってしまうんじゃないのかなぁ。

 

職業的に通訳や翻訳家になることだけが語学の活用方法でもないと思うし、語学やってるだけでうまく説明つかないけれど面白さ楽しさを覚えるっていうもんがあるだけでもやってる意味がものすごくあると思う。趣味で釣をやってる人は何もそこでお金を得ようとしてるわけでもないと思うし、山登りやってる人なんかも同じこと。なぜか語学だけは世間的に通訳になるっていうのがいつの間にか「あるべき最終形」になってるのは不思議です。

 

ま、何にせよ外はえらい天気ですけど、健康管理には気を付けて毎日忙しいけどどっかに楽しみがあるっていう毎日をこれからも送っていきたいもんです。忙しいことはそういう意味じゃありがたい話じゃないですか。