真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

「出来る」の底を上げる

年末年始に注文していた本が届きはじめました。中国語と英語の本ですが1冊あるだけでも私にはうれしいことなのに3冊手元にあるのはうれしいを通り越した幸せたっぷりな満足感に包まれているような感覚です。

 

ところで英語のペーパーバック冒頭の1ページをに目を通していてふと思ったのは、英語が出来るということの本質ってなんだろうってことですね。本がするすると読めること?ぺらぺらとまくし立てるように話せること?美文を書けること?

 

これについては人それぞれでしょうし仕事によっても要求されるものが違ってくるのは当然ですね。だから一概にこうあるべし!と断言することも難しいワケですし、さらに言えばたかだか英語の試験で高得点とったとか、合格したとかいうレベルでウハウハしているようではなんかおかしい気がします。

 

あくまでも私個人が求めている水準はもっと興味ある分野の書籍をきちんと読めるようになることですが、今の段階では割と単純な物語しか(ひょっとしたらそうした単純な物語さえも)読めてない。残念なことに全然水準が低すぎるんです。

 

自分基準の「出来る」を底上げするには何も多種多様な試験を受ける必要なんてありません。それよりもどんどん読んでいく、どんどん話ていくというような行動を続けていくのが一番効果的ですし、私のスタイルにあっているなと思ったりしています。

 

「英語出来ます」と自分自身をアピールする人は多くいますが、「出来ます」っていうのは一体どんな「出来ます」なんだろうっていつも思うところがあります。個人的には日本語でさえ作法を知らないことが多く、ペン一本で食べていっておらえる作家やジャーナリストの方たちのすごさにいつの感嘆させられる毎日なのです。

 

上を見ればキリがない。でも自らの底は見えている。それをかさ上げしていく努力は決して怠ってはいけないものだし、「出来ます」とあまりに簡単に口にすることも慎まなければとつくづく自戒の念を禁じ得ません。