真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

お祭り

通訳案内士試験の合格発表があって以来、若干アクセス数が増えたのでなぜだろうと解析を見てみますと、なるほどやはりある掲示板から飛んできているものがほとんどでした。基本的には私が「不合格」を装い後で「合格」だった!とするオチのブログとかいうことでアドレスをコピペされていたんですね。だからかなりの人が「何?」ということで飛んできたようです。

 

個人的に試験の感想や結果について掲示板に書き込みをしたり、他の書き込みを見てさらに反論、同意の文を書き込むようなことはしません。おそらくそういった行為をされる方の多くは試験が「お祭り」或は「イベント」と化しているのでしょう。あたかも夏の音楽野外フェスのような感覚で盛り上がれるのかもしれません。

 

語学試験が他の資格試験、例えば行政書士宅建と違っているのは、単に知識を直列式に詰め込んでいけば受かるという性質のものではないことです。通訳案内士試験もそうですが、今トライしている中国語検定1級などもその典型でしょう。知識があるだけでは太刀打ち出来ない。言葉を高度に運用する訓練を常に積まねばならず、それを単独でこなしていくのは単に法律条文を詰め込むよりも大変なことです。これはすでに経験しているのでこうしたことが言えるのですが、やはり語学には努力を重ねることは必須ですが、どこかしらに「才能」も必須なもののような気がします。

 

努力を努力と思わない才能もそうですし、言葉を取り込んで、それを自分のものとして意のままに取り出せる才能も必要です。やればやるほど終わりが無い。それが語学学習です。ですから、試験が終わったからといって、その成否にワーワー言っている人達の気持ちが今一つよく分からないですし、そもそも試験などというのは他人が勝手に難度を定義して私たちにぶつけてくるとても狭い意味での言葉の試験に過ぎません。それに受かれば確かにうれしいのでしょうが、一番大事なのは試験以前も以後も同様に学習を続けていくことであって、合格したから、はたまた不合格だったからという理由でそれまでせっかく培ってきた学習習慣を投げ捨ててしまうのは勿体ない話です。

 

合格発表があってから迎える初めての週末だったので時間的な余裕もあり、検索数も増えたのだと思います。試験が「お祭り」である人にとってはある意味とても有意義な時間だったのかもしれませんが、学習の途上に常にあるという意識をもっておられる方にとってみればただの一日にしか過ぎません。

 

情報検索をいくらやっても語学の力が伸びる訳でもありません。繰り返しになりますが大事なのはこれまでの習慣を続けることであって、いっときの「お祭り」に騒ぎたてることでは決してないことです。

 

今回私も不合格が確定的ですがそこには全く失意とかいったものはなくてそれは当然だという結論しかありません。単純に力が無いから合格しない。それだけのことです。だからこれからもまた実力をつけるために継続するのみなのです。試験は「お祭り」ではなく自分の不足を他人目線で見られる絶好の機会。これを利用して試験後の取り組みに変化を与え自分の能力をさらに高めていく。それが語学試験を受ける意味だと思ってます。

 

留学もせずに国内で更に独学で難度の高い外国語試験を切り抜けることは容易ではありません。でも逆に簡単ではないからこそ向かっていける楽しみもあるのも事実です。ただ単純に受かった、ダメだったの二分法で物事を見るのではなく、試験での過程を分析して自分を向上させる。とても地味ですが、それが正道、王道だと考えてます。ぜひとも一人でも多くの方が試験の出来だけに一喜一憂せずに生活の中に生まれた学習習慣を大事にされ語学のみならずいろんな事象について学びつづける姿勢をもっていってほしいと願っています。

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