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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

「見てわかる」の罠

中国語読書を継続。朝晩2回。

 

漢字というのは恐ろしいもので、ちらりとその形を見れば意味が浮かんできます。これがハングルとなると全くあれれのれ~なんですが…。ま、それをいいことにこれまではあまり書面語の「読み」を重視せず、そのままうっちゃっていました。いけません。

 

それで中国語を再開した際にはそうした事が今後ないようにと必ずノートに読みや書き方が不明瞭なものは書き取り、それを音読しています。

 

とかく私たちは外国語となると「話せる」ことに重点を置きがちです。なぜかというとそれは不特定多数の人相手に同時に自分の外国語能力を認知させ易いためですね。おそらく「書く」能力がいくらあってもその文章を多くの人が目にする訳ではないですし、読むには結構労力が必要ですから。

 

私も例にもれず、話す能力をアップしたいという気持ちが強いのは否定できません。でもよくあるようなスラングとか決め台詞とかいった類の言葉には興味があまりなくて、それよりもどれだけ美しく表現できるか?ってことにもっぱら関心があります。そういう美しい表現が本を読んでいるとあちこちにちりばめられていて、以前だったらあまり感動もしなかったのに年をとったせいもあるかも知れませんが、今は日々感激!西城秀樹な状態です。

 

試験に受かることも世に出るには大事な事ではあるんですが、それは無論すべてではありません。テクニックを駆使してようやく受かった…なんていうのは自分にとってもあまり歓迎されるべきものではありませんし、その後それを生かせるかどうかも疑問が付きまとうことでしょう。

 

そういうことからも淡々と毎日言葉と出会うことで言葉の感度を上げて実力をつけていく。終わらせることは出来ても、終わりは決してない旅のようなものです。常に未完です。

 

そんなの見ればわかるよ~、ふふふーん、と気取っていてもスカスカの言葉はいつか底が知れてしまうでしょう。結局は遣り続けていくことだけしか私には出来ないように思います。