真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

「攻略」と「耕作」

試験には合格と不合格というものが存在します。例外的にTOEICのようにスコアにより客観的な力を測定するものもありますが、ほとんどの場合「合否」という分かれ目が厳然としてあります。

 

検定試験には何%の得点をとれば合格できるかが予め示されており、更に過去問を見ると設問毎の得点がどの程度なのかも知ることさえできますから、合格とされる得点圏に達するために得点を取りやすい設問を「攻略」することで形式的な合格へと達しやすくなるのは自明の理でしょう。

 

しかし、このような「攻略」をどう受け止めて良いのか私はとても悩みます。

 

試験は紙切れ相手ですからこちらが「攻略」を仕掛ければなるほど確かに受かりやすさの確度は上がるでしょう。受かれば何かとその後有用である試験であればそうした「攻略」を是とする人が多くいても不思議ではありません。何も皆が皆純粋に語学を極めたいなんていう思いで受けているわけではないでしょうから。

 

それでもやはり私は個人的には「攻略」するという発想には到底納得できませんし、そうした考え方が極当たり前になりつつある今だからこそ、ジンワリと実力を養い、どのような形式の試験であってもきちんと合格に至れるようにすることにとことん徹することの方がより大事で貴いように感じるのです。

 

所詮「攻略」で撃ち落としたものをその後きちんと拾い上げていく人はほとんどいません。土地を耕し種をまき、きちんと育てた後に得たものの価値は自分にとっても測り知れないものがあることは間違いありません。そしてそれは自分だけではなく、誰か他の人にとってもとても価値の高い財産になりうるものです。それならば、是非とも労苦を厭わず土地を耕すことろからやることから始め、時間はかかろうともきちんと収獲出来た果実をもぎ取りたいもの。それが学習或は勉強と称するものの王道ではないだろうかと思う次第です。