真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

世界の広さ

フランス語読書から中国語へと切り替え読み進めてところです。日本語や英語と違いフランス語や中国語の書籍は読みたいと思う本の入手が難しく、いつも悩んでしまうんですが、フランス語の場合はある程度この作家の作品を…という方針を決め読み進めるようにしているのでなんとかなっている感じです。

 

メディアで盛んに中国からの観光客があちこちに殺到するような話を伝えたりしているのですが、どういう訳が人自体がやってきても文物の方はなかなかやってきてくれません。本1冊注文して手元届くのにやくて2週間、遅くて3週間という有様。ですからうまく時間を調整しながら本を読み進めなければならないことになっている状況です。

 

さて、先日香港に関するドキュメンタリーを見ました。内容はともかくとして、1997年に中国に返還されてから早20年。高度な行政自治を認める政策をとっているとは言え、あと30年すれば確実にすべてが「赤一色」に染まることになります。そして同時に現地で話されている言葉である広東語もそれを母語とする人の数も随分と減少してしまうことが簡単に予想がつきます。

 

これを仕方が無いと見るべきか、一つの言語が失われようとしているのをただ無関心に眺めるのではなく、それを後世に伝える側に立つのか(つまり広東語を学ぶということ)で大きく言葉に対する態度が異なってきます。私は出来るだけ後者であるように努めたいと今強く思っている側にいます。そして今すぐには無理がありますが、今後数年のうちに広東語の習得を考えているところです。幸いにして広東語は話し言葉ですから音の学習がその柱になり、この点で他の外国語を習得するのとでは学習のプロセスと目標到達地点とすべきものが大きく異なりところでしょうか。

 

外国語を学ぶという行為自体は学校ではただ点数を多く取れればそれでよしとされているようなものとして捉えることがほとんどでしたが、いざ社会に出て言葉を通じて様々な活動に身を投じてみると言葉は母語だけではなく外国語も少しでも出来た方が少しは楽しい、ということを実感するものです。最初はもどかしさがあったとしても続けるうちにそれが自然なものになっていく感覚。これを幾度も経てどんどん面白味の深みが増していくだけでなく、人そのものが面白く、いとおしい存在でもあることを発見したりもするものだと思います。

 

点数云々というケチ臭い狭小が世界に閉じ込められてしまう人がいる中で、点数というものとは相容ない広い世界が向こう側にあるんだという皮膚感覚を培えるかどうか?割にこうした感覚を持てるようになると独楽ネズミのようにセカセカしている世の中に身を置いてはいても、気持ちは反比例してどこかいつも落ち着いていられるようになる気がします。

 

世界は広いです。全て国・地域を踏破することはほぼ無理です。逆にいろんな言語を学び、その国の物語に触れることは意外に誰でも出来ます。ただ、やるかやらないかというだけのことでしょう。いつも狭いこせこせとした世界にみを置いていると感じているのであれば、是非とも外国語を英語だけではなくもう一つトッピングしてみるともっと人生面白くなりますよ。

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