真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

努力の形

あれだけ頑張ったのに合格しなかった…といった声を受験シーズン中はよく耳にするものです。余程難関の学校あれば努力しても実を結ばないこともあるかもしれません。

 

努力は大事です。ただ、どのような努力をするのか、またしているのかはもっと大事です。

 

例えば英語が好きだからいつも英語放送の番組を見ているという人がいたとします。暇があれば英語の音だけでも耳に入るようにする。こんな努力(というよりも趣味に近いかも知れませんが…)を継続していても実際にはあまり効果を感じられないという人もいることも多いようです。

 

なぜでしょう。

 

それは1つには多量に情報を流し込んでも自分の脳が処理出来る量には限界があることが挙げられます。更には英語なら英語の音を意味を思考することなく音だけ聞くことに満足してしまい、きちんと情報の取り込みが行われてないこともあるでしょう。

 

努力は大事ですが、努力の形をただがむしゃらさとか貪欲さやひたむきさというワードで見てしまうと「ただやっているだけ」の行為を努力と勘違いしてしまうことにもなりかねません。

 

努力には量もそうですが、その方向が正しいのかどうか、質的に適切なことを行えているのかどうかがもっと大切な努力の要素ではないかと考えます。これには私もこれまでの学習経験から実際に肌で痛烈に感じた事であり、今後の学習の指針や方向に大きな影響をもたらしました。

 

努力もせずに何か大きな成果を得られればいいのでしょうが、少なくともこれは自分が他の人の存在や能力の比較せずとも自然体で打ち込めていることが理想なのかもしれませんね。

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