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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

上があること

自分よりも上のすごい存在があることを自覚出来るのはすごいことだと思います。

 

よくネット上ではTOEIC満点取得!を掲げていろいろと英語について語る輩がいます。正直そういった人を見てるととても「痛い」んですけど、結構おおくの人が英語には悩まされているようで、TOEIC神話を信じている人にとっては満点野郎はとてもすごい存在に見えるのでしょう。

 

でも、考えても見るとTOEICの最高得点は990点。それ以上は無いのですよね。つまり上にはキリがあるということです。それもとてつもなく「低い」キリです。TOEICで高得点をとろうと必死になってやっているうちにいつしか得点も追いついていきます。990点満点はとれないにしても、やっていくうちにその天井の高さは実際は絶対手の届かないところにあるのではないってことも見えてきたりもすることでしょう。

 

この程度の上を果たして英語学習の目標にして良いのだろうか?と私はしばしば小首をかしげたくなってしまいます。あまりに志が低く視野、世界観が狭い…と。

 

よくネット上でTOEIC満点でも映画は聞き取れないとか言った文句で英語教材を売り込む広告を目にします。「TOEIC満点でも」という謳い文句のは一般の英語学習者にはある意味ショッキングなものに聞こえるのでしょう。でも、考えてもみればそんなこと当たり前ですよね。だってTOEIC満点をとったとしきりに自慢したがる輩のほとんどは試験に適応する能力が高いだけであって、英語で小説もほとんど読んだこともないし、読めないし、そもそも母語である日本語での思考・など縁がない連中ばかりです。TOEICという試験そのものがその輩の全世界であり、宇宙であって、そんなちっぽけな環境の中で考えることなどたかが知れています。

 

英語が出来るというのは数値化が出来るものではなく、英語という言語以外の要素も多分に関係してきます。普段試験のことだけしか頭にない者がさて、どんな話題を会話の中で振っていけるのでしょうか。

 

試験も大事、でもそれに拘泥するのはあまりに愚かだと思います。自分の考えている以上にすごい人いる、すばらしい世界がある。そんな「上がある」という感覚を持てるには990点満点という天井のある世界にハマりこんでしまうことではないのは自明のことです。一日もはやく点数の呪縛から逃れ、自分自身の思考や世界の限界を越える存在に気が付くことが出来るよう本と読み、映画を鑑賞し、さまざまな人と会う。こんなベーシックなことが自分をより高みへと連れていってくれるものですし、そこで知る「上」を知ることは点数競争などよりもはるかに大事なことだと考えてます。