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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

読み書きは出来ても…

英会話というとよく『読み書きは出来るんだけどね~』とか言う人が居ます。でも、これって考えてみれば物凄く変な話。

 

読んだり、書いたりする能力って日本語を母語とする私たちが最後に習得する能力でこれって結構レベルの高い技能です。つまりは母語って結局「話す・聴く」⇒「読む・書く」ってな順番で習得が完了していくんですよね。

 

昨今の英語教育は口頭でのコミュニケーション能力を意識してだか知りませんが、とにかく会話、会話、会話って事ばかりに関心がいってしまってる気がします。文法とか読む、書くについては後回し、否、それこそそのものを否定せんばかりの勢いです。

 

私も各種外国語に長年取り組んで来て感じるのですが、話す、聞くといった能力はどちらかというと語学的な才に依るものではなくて、その人そのものが本来的に持っている話題力に依るものだというのが物凄く大きい。英語の発音がバリバリでも、ただただ試験勉強ばかりに明け暮れ、穴埋め問題は出来ても人と人との間にある穴を埋められない人が多かったりする。だからネットの掲示板で何とかそのエネルギー発散して収めようとするのでしょう。

 

母語習得過程と外国語習得過程とは全く違うのは当然であって、それをごっちゃににして赤ちゃんがこうやって母語を習得するのだから、外国語も同様にやればよいとする飛んでもない主張をする人がいたりして頭が痛くなってしまいます。

 

特に大人になってから外国語を学ぶとなると自然と読む、書くということがメインになりますし、逆にこの2技能が本当の意味できちんと徹底されていれば、少々発音に難があったとしても(そんなことは追々ある程度まで直していける)コミュニケーションは十分に取れるはずです。大事なのは上述した通り「話題力」であって、話題を形成するための興味・関心を持つ力がその人にあるかどうか。

 

ある事柄に対して知識も関心も無ければ会話なんて出来ません。どんなに発音が良くたって全くそれは意味を成さないのは自明のことでしょう。私たちは教材を売らんかなとする輩の尻馬に乗ることなく、とにかくも読む、書くの基本を徹底すること。これが語学習得の第一歩であって、会話教室に通うのはもっともっと後の話(そもそも論として会話教室など必要無い)。

 

磨くべきは吹けば飛ぶような見た目の良さではなく、自分の内面世界、豊穣な言葉の大地。それにはしっかり読めることが必須ですよねきちんと読めるということは筆者の言葉をしっかり捉えられるということ。言外の意味までも考えられるということ。相手の思いを深く受け止められるということ。

 

ただただまずは発音ありきとする風潮とは一線を画し、大人である私たちが今後も「成長」を続けていくためには読む、書くにしっかり軸足を置いた学習に努めることが何よりも大切なことであり、後に自分の確かな「成長」を確かめられる唯一の手段だと思います。