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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

方向

読書の継続ありきで毎日を送っています。読書しなきゃ!というよりも、読書をすることが当たり前で、その上に読む本をかなり絞っているためか入り込んでいる時間が至福の時間にもなっているところ。

 

自分でも全く気が付かなかったのだけれど、関心を寄せている小説がなぜか戦争や紛争を背景にしたものが多い。リストアップしているものの中にもそうした類の物語が入っていて改めてビックリしてしまった。もう少しラブストーリーやらとかを読んでもよさそうなもんだけれど、浮ついた言葉の羅列に少し辟易としているというか、現実的になりすぎてアホらしくて読めないところがあるのかもしれない。

 

まぁこれまでのとは違った自分を新たに発見できたことは大きな収獲だったかも。

 

今こうして本をただただ読んではいる状態だけれど、積み重なっていくうちに本当に将来的にやりたいことがくっきりと見通せてきた。ただ○○が出来たら…とか○○をやりたいなぁ~的な願望を抱くだけではダメで、それらを現実化するまでのプロセスを着実に踏むことがもっと強調されるべき。でも、世間は常に「夢を持て」とか「目標を掲げろ」とかいうことだけで、ステップを踏むことがどれほど大変であるかについては目をそむけている節があるように思えてならない。

 

なぜそうのなのか?それはそんな言葉を安易に掛ける大人自身がなんとなく生きてきた或は生きてこれたからだと思ってる。だから、そんな人達は具体的且つ現実的な手順を踏み、それを続けることをぐいっと後押しすることも無い。

 

でも、それじゃあダメなんだと思う。

 

この間の中検準1級試験の時、もう一人受験生がいたんだけど、相当中国語の学習に苦しんでいた。気の毒な位。ただただ検定試験に受かりたいという思いだけでやっているのだろう。それはそれで熱意は高く買うけれど、姿勢というか方向が完全に間違っている。そうした姿勢や意識を矯正しない限り、その人はずっと試験を受け、そしていつか諦めてしまうのだろう。

 

そうした強い思いや意識はあっても方向をうまく捉えられず、もがいている人が確実に身近にいる。それを知っただけでも試験を受けた意味はあったし、今自分がやろうとしていることが間違ってはないのだという確信も出来た。あとは自分が「いつ」やるかというだけ。

 

向かうべきところが分かっていると強い。折れない。しかしその逆は厳しいだろう。そんなことを強く感じる。