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真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

「覚える」とは

単語が覚えられないとこぼす人結構います。要するに年齢を重ねれば物覚えが悪くなるので外国語学習は大変だ、ということを伝えたいんだと思います。

 

でも、これって嘘ですね。年齢を重ねると覚えが悪くなるんじゃなくて物事に対する興味、関心、好奇心が薄れてしまうので突き詰めてやってみようという気持ちが起こらず、その結果頭に残らないだけです。人生がつまんない…という感じの心境になってしまっているんでしょうね、きっと。まぁそんな人が何やってもうまくいくはずもありませんから、ただただ文句だけ言わせておけばいいワケで、私たちは無理して話しに付き合う必要もないと考えてます。

 

外国語を習得するには当然単語を「覚える」必要があります。でも、最近つくづく思うのは、この「覚える」という行為はその場しのぎに語彙をストックしているだけで、本当の意味での「身に着ける」につながってないのではないかということ。

 

例えば試験のために単語を「覚える」。試験はぶっちゃけその場しのぎでなんとか潜り抜けられればいいのですから、本来的に身に着けるなんて必要ありません。入れて、出して、はい終わりです。多分多くの大人が言う単語を「覚える」の意味はこれでしょうね。

 

しかしながら、外国語を懸命に習得しようとしている人にあっては単語は「覚える」ものではなくて「身に着ける」ものだと捉えられているはずです。もっと言えば「自分の一部」にするくらいの感覚ではないでしょうか。それくらいに至らないと外国語を意のままに操るなんてことは到底無理な話ですから。

 

いろんな場面で単語が覚えられないという人を見ると、私はいつも心の中で「この人はいつも何かの処理に追われていたのだろうか?」という感覚に襲われます。いつも忙しくされているのは結構ですが、自分が本当に得たいものは一体なんだったのだろうと。尊敬には値しても少し寂しいなというのが本音です。

 

国語学習は難しい、易しい(或は合格・不合格)の2次元世界ではありません。突き詰めていくと人そのものを知るための入口であることに気が付き、様々は分野とつながっていることの驚きます。そんな広大な世界に対処しようと1つ1つ単語を覚えることが外国語学習上達の道などと最後の最後まで考えていたら、人生終わってしまいます。もったいない。

 

色々理屈を唱える人が世の中たくさんいますが、とどのつまり学習を始めて3か月、半年経っても面白味を感じられないのなら止めて他の世界へ飛び込んだ方がいいでしょう。人生短いですからね。