真夜中の図書室

通訳案内士試験(仏語)合格までの記録と多言語読書の日々

仏語通訳案内士受験日記DAY5

久々に録画していた映画を観ました。ラブストーリーです。普段はこういった恋愛ものをみないんですが、なぜかしら評判が高いという理由で録画していたのでついでに観た感じですね。

 

はずかしながら涙しました…。涙腺がゆるくなったのか、物語がよかったのか知りません。まぁ少なくともストーリー展開が良くてそして大事なのが「愛する」ことを貫く事が難しい現代にあっては稀に見る純愛に胸に迫るものがあったのは確かです。

 

そんな感じでいろんな物語を形式を問わずに出来るだけ接するようにしています。なんでか?というとやはりそうした物語が伝えようとするものから何かを「感じ取る」という感性をいつまでももっていたと思うからです。

 

感性というのは難しものでその定義もしづらいのですが、人に教えて身に着けることが即座に可能になるものではありませんし、自分自身でも容易に獲得できるようなものではありません。それに人それぞれですから、ある人の感じ方が自分とは違っているといってそれを否定することもおかしな話になります。なぜならそれも感性なのですから。

 

しかし、人として当たり前に感じとるであろうことに対して無感動であるとか心が全く動かないなどということに対してそれを当然に肯定することはあまり賛成できません。やはり感性の「鈍さ」というのは言葉にも直接的に反映されて来てたりするため、そうした人との会話を楽しめないばかりか苦痛でもあったりするからです。

 

外国語を学ぶ人間として常に心がけていることは相手を言葉で傷つけないこと、そして相手に共感、共鳴を出来るだけすることでしょう。特に後者は相手の話、言葉に耳を傾ける必要があります。気持ちを読み取ることが大事なことになります。そうした行為はただ頭が良いとかなんとなく頷いてあげるとかいったことでは常に出来るようなものではないと思います。やはり常にどこかで「感性」を大事する心構えでいることが必要になってきます。そして思うにその「感性」というのは言葉によって磨かれるようにも思うのです。

 

外国語を学ぶと役に立つ(つまり職探しに有利という意味で用いられることが多い)といったことが当たり前に言われますが、ただ試験で高得点をとったりすることが本来の目的ではなく、母語との違いに対峙した際色々と悩ましく思うことで得られる深みのある言葉もありますし、考えをより多角的に進めることも出来るようになります。

 

これはすごいことで、こうしたことが出来るようになると俄然生きることが楽しくなってくるんですね。なぜなら人間の世界って全てが言葉で成り立っているので、その言葉で構成された世界で呼吸することが楽になるからです。いらだつのは言葉をうまく消化できなかったり、感情の処理をうまく言葉で片づけられないためでもあるのでしょう。

 

難しいことを言う人も世の中にはいますが、それだけ言葉は多面的であり、考える余地をいくらでも与えてくれるということ。それを私たちは楽しめばいいのであって、アラを探すような無駄なことは出来るだけ避けていきたいものですね。